日米紳士協約
アメリカにおける日本人移民排斥の動きが日米国家間の問題に直結することを恐れた日本政府は1908年、日米紳士協約(Gentleman’s Agreement)なる取り決めを米政府と結ぶ。これは、一般の観光旅行者や学生など以外の日本人にアメリカ行き旅券を発行しないという日本政府の約束であった。学童隔離事件に始まる在米日本人の、排日世論に対する抗議活動は、ここにいたって最悪の結末をむかえたと言える。
こうしてハワイなどからの転航移民が絶たれ、日本からの渡米が大幅に制限されたことにより、アメリカに在住する日本人の数はほぼ固定された。ただし、この協約には小さからぬ抜け穴も存在した。日本政府が旅券を発行する「例外」として、現在アメリカ在住の家族を持つ者という項目が含まれていたのである(*6)。つまり、親兄弟あるいは妻子であれば呼び寄せ可能というわけだ。ここに、日系移民独特のシステム「写真結婚」が考案され、以後は日本人女性の渡米者が増えていくこととなる。
註;
(*1)Ichihachi, Japanese Immigration, p5の図表より計算すると、1891〜1900年の10年間において、全移民数に対する日本人移民数は0.75%。同様に、1901〜1910年=0.62%、1911〜1920年=0.6%。
(*2)伊藤「北米百年桜」p15.
(*3)Japanese Immigration, p55によれば92名以下、「北米百年桜」p15によれば93名(男65・女28)。また当時のサンフランシスコの公立学校69校中、日本人学生を受け入れていたのは22校であり、一校平均4、5名の計算になる。
年長の日本人男子が女子生徒と机を並べるという問題についても、その根拠は数字の裏づけを得られない。Wilson and Hosokawa, East to America, p53によると、日本人生徒93名のうち25名はアメリカで生まれたアメリカ市民であり、残る68名に関しては15名が女子、男子21名が15歳以下であった。以上を差し引けば、非難の対象となりうる「年長の日本人男子」の数はわずかに32名であったということになる。
(*4)香川「サンフランシスコにおける日本人学童隔離問題」p229.
(*5)Ichioka, The Issei, p70
(*6)「北米百年桜」p16より、例外的に旅券発行を認める3項として;
一、在米日本領事発給の在留証明書を持つ再渡航者
二、在米日本領事発給の証明書を持つ米国在留者の父母、妻及び20歳以下の子女
三、日本外務省において、とくに承認を与えた定住農夫
参考文献:
- Ichihachi, Yamato. Japanese Immigration, Its Status in California. 1915. Reprint in San Francisco; R and E Research Associates, Publishers and Distributors of Ethnic Studies, 1970.
- Ichioka, Yuji. The Issei; The World of the First Generation Japanese Immigrants, 1885-1924. New York; The Free Press, 1988.
- 伊藤一男「北米百年桜」大日本印刷 1969
- 香川真理「サンフランシスコにおける日本人学童隔離問題」論創社 1999
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