アメリカの日系移民は、その人口の多くが西海岸エリアに集中している。日本からの到着港があるワシントン州のシアトル、オレゴン州ポートランド、およびサンフランシスコを中心とした北カリフォルニア州が初期移民社会の主な拠点であった。1906年のサンフランシスコ大地震以降は、ロサンゼルスのある南カリフォルニアにその主軸が移動する。各地に小さな日本人町ができ、その歴史はそれぞれの記録に刻み込まれた。
自然、このような西海岸のコミュニティー史を中心としたものがアメリカ日系移民史の主流になる。記録も多く残っているし、一世たちの子孫も確認でき歴史をたどりやすい。一方で、それ以外の地域に移住した人々ももちろん存在する。彼らの足跡をたどるのは難しく、一部の地域を除いてあまり系統だった研究がなされていないのが実情である。
しかし、各種統計を見てみると、西海岸以外に居住した日系人の数は決して少なくはない。多くの労働者が日本から、あるいはハワイ・メキシコ経由で流れ込んできた1900年頃は、アメリカ全土において鉄道の建設が盛んだった。大陸横断鉄道は1869年に完成したとされてはいるが、その後も鉄道の需要はさらに高まり、支線が各地に造られつつあったのである。たとえばユニオン・パシフィック鉄道(Union Pacific Railroad)はミズーリからカリフォルニアに至るまでの路線のうち、ワイオミングやオレゴンのセクションで多数の日本人労働者を採用した(*1)。西海岸に到着した労働者たちは宣伝ビラや口コミで情報を得、彼らを束ねる日本人ボス(契約請負人)の助けを借りて内陸へと散った。日米紳士協約が結ばれる直前の1906年には、1万3千人以上の日本人が鉄道で働いていたという(*2)。この数は実に、全米の日本人人口の約3分の1に相当する。出稼ぎ労働者である彼らは、一定期間労働に従事したのち西海岸に戻りさらに日本に帰国するものがほとんどであったが、そこに居残るものも徐々に出てきた。
鉄道産業が下火になった後は、西海岸以外の土地に新天地を求めた人々が内陸に移住し、農地を切り開いたという例がいくつか見られる。東海岸については、早い時期に日本からの留学生が数多く訪れたが、定住した者はまれであった。
この稿では、日系移民の足跡をいくらかでもたどることができる「西海岸以外の各州」について、その始まりから第二次世界大戦前までを概観する。
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