ジョン万次郎



 土佐・中の浜(現 高知県土佐清水市中浜)出身。14歳のとき、出漁中に遭難しアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救助される。

 英語や航海術を学びたいと思った万次郎は、船長ホィットフィールドについて1843年マサチューセッツ州に渡り、日本人として初めてアメリカ本土の土を踏む。保護者ホィットフィールドのもとで3年ほどアメリカ教育を受け、その後は捕鯨船員として働く。万次郎という名前はアメリカ人には発音しにくいので、彼を救助した捕鯨船から名前を取り、ジョン・マンというニックネームがつけられた。

 おりしも時代はゴールドラッシュを迎えていた。故郷日本への帰国を思い立った万次郎は、カリフォルニアで3ヶ月ほど金鉱を発掘して帰国資金を作る。1851年、琉球(現 沖縄県)に上陸。厳しい取調べを受けたが、鎖国下の日本から禁を犯して海外に出た者としては特別に許され、その有能さと英語力を買われて幕府の直参に迎え入れられる。このとき名字帯刀を許された万次郎は、ふるさと中の浜から名字を取り、中浜万次郎と名乗った。自らの目でアメリカを見、生の英語を学んだ彼の体験ほど当時貴重なものはない。万次郎は薩摩藩主島津斉彬や幕府高官と接触してその知識を大いに還元し、幕末日本の啓蒙に寄与した。

 1860年、日本発のアメリカ使節団に通訳として加わり、咸臨丸に乗船。明治維新後は薩摩(現 鹿児島県)開成学校教授として教鞭をとり、1898年土佐にて亡くなる。享年71歳。


 万次郎の功績はアメリカでも多大なる評価を受けた。マサチューセッツ州ミリセント図書館には、万次郎の足跡をたどる展示室が設けられている。




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