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はじめに 「日系アメリカ人の苦労話など、聞きたくない、と言われたのです」 白髪の日系二世、Hさんは私にそう語りました。 日系アメリカ人元兵士 夏、よく晴れた日の午後のことです。夫と私は、カリフォルニア州サンノゼの日本町にある集会所で、日系アメリカ人の方々との座談会に出席していました。第二次世界大戦中、米兵として日本と戦い、戦後は占領統治軍の一員として祖国に駐留した彼らの体験談を聞く集まりです。 会が終わった後、私はパネラーのお一人であるHさんをつかまえて、彼が今取り組んでいるというプロジェクトについて質問をしました。Hさんは日系人として肌で感じてきた日米の歴史を多くの人々に伝えるため、精力的に講演をして回っておられる方です。一度、声がかかって日本にも出向き、お話をされたことがあるそうです。しかしその来日講演において、彼は聴衆の信じられない反応を目にすることになりました。 Hさんの口から前掲の言葉が飛び出したとき、私は聞き間違えたのだと思ったのです。彼は日本語も堪能ですが、そのとき私たちとは英語で話をしていました。だから、私の英語力が拙くて聞き取れなかったのだろうと。しかし、再度お伺いすると、彼はまっすぐ私の目を見て答えたのです。 「日本の人たちは、we don’t want to hear your story any more. と言った」、と。 |
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「聞きたくない」? 移民として海を渡ってきた日本人の両親を持ち、母国を愛する心を抱きながら、アメリカ人として敵国日本に対峙しなくてはならなかった彼らの苦悩。戦後30年たってから日本に生まれ、日本に育った私には、想像力を要する苦しみではありこそすれ、「聞きたくない」などという話ではありません。むしろこの貴重なお話を伺いたくて、私たちはこの休日の座談会に出席しているのです。 日本人が、外国で涙を流した同胞の体験談を聞きたくない? そんなはずがあるのでしょうか。 このときのHさんとの会話は、その後もしばらく私の心に疑問の影を落としていました。でもあるときふと思ったのです。もしかして、いま私が日本にいたら、こんなに素直に日系人に共感できなかったかもしれない。アメリカに住んだことがなかったら、あるいは理解しようともしなかったかもしれない。恥ずかしながら、私は渡米して1年後に初めて日本人移民とその子息がこの地で受けた扱いを知りました。その時の気持ちを思い出すと、Hさんに対して聴衆が見せた無反応も、少しは理解できるような気がするのです。 |
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日系人強制収容の史実 夫の海外赴任に同行し渡米して以来、3年になります。暇をもてあまして近所のカレッジに入り、最初は外国人用のクラスで英語の勉強をしていました。そこでリーディング・テキストとして課されたのが「日系人強制収容所」に関する本でした。戦時中、治安の維持とスパイ行為阻止のため、日本人の血が入っている人々は収容所に入れられたのだ、ということを私はそこで初めて学びました。この史実は、アメリカ政治史上最も恥ずべき失政として全米の高校の授業で扱われ、多くのアメリカ人によく知られているものです。日本でもこれに関して、いくつかの小説やドラマが出てはいますが、周知の事実とは言えないでしょう。 クラスで日本人は私一人です。当然クラスメイトにいろいろ聞かれるのですが、この有名な史実を知らないということで私は日本人としてかなり恥ずかしい思いをしました。でもそれと同時に、何がそんなに大問題なんだろう、と不思議に思ったのです。「アメリカ政治史上最も恥ずべき失政」? 確かに人権問題上、ありうべからざる違法行為ではあったでしょう。しかも人権の国アメリカで。しかし、当時は戦時中だったのです。治安維持と日系人保護のため、と考えればあるいはやむをえない処置といえるかもしれません。真珠湾攻撃直後のアメリカには、アジア系アメリカ人が街を歩けば暴動も起こりかねない、ぴりぴりとした空気がありました。その一触即発の危険から日系人を守るために疎開させるのだ、というのが政府の説明でした。 |
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日本人と日系人 確かに辛い思いはしたでしょう。でも、ドイツのアウシュビッツ強制収容所と違って虐殺されるわけではありません。だいいち当時、本国の日本人だって本当に必死の暮らしをしていたのです。アメリカにいた日本人はまだマシだったんじゃないの、と私は思いました。 これが大変な勘違いだったことは、そのクラスで学び、自分でもさらに勉強していくにつれて徐々にわかってきました。私は、日系人と日本人との区別が全くついていなかったのです。祖国日本の気概を十分に持ちながら、異国の地に溶け込むため苦心していた日系人たちにとって、あの戦争は単に国と国との戦いではなく、自分たちの中での精神の戦争であったのです。日本人でありながらアメリカ人でもあるという微妙なアイデンティティのバランスは、戦争によっていやおうもなく踏みにじられました。それは一個のひとの精神破壊にとどまらず、世代間の闘争にまで発展し戦後も日系コミュニティを蝕んでいったのです。 Hさんの講演に共感できなかった日本の人々は、日系人を日本人と同一視していたのかもしれません。かつて私がそうであったように。彼らの戦時中の苦労を、自分たち日本人と比べて考え、「それほどひどくもない苦労を大げさに言い立てている」と、軽い不快感を覚えたのかもしれません。 HP作成にあたって このホームページで、私はこのような認識の違いに注目しつつ、日本人が日系人になってゆくその過程を考察していきたいと思っています。ふたつの国の狭間で、在外日系人たちがどこに自らの存在を位置づけ、その生を生きたのか。・・・難しいけれど、興味深いテーマです。なぜならそれはとりもなおさず、私たち日本人自身のことを振り返ることにもなるからです。 今のところはアメリカ合衆国本土の日系移民についての学習に当たっていますが、いつかハワイ、南米、東南アジア等と範囲を広げていくことができればと考えています。 参考文献の入手に当たって、サンフランシスコ公共図書館、カリフォルニア州立大学バークレー校、その他多くの機関を利用させていただきました。また、2004年9月に急逝された日米史料館(Japanese American History Archives)の岡省三館長には、亡くなる直前まで約4ヶ月間の貴重なご指導をいただきました。この場を借りて感謝します。 岡さん、私、岡さんから学んだことを無駄にしないよう頑張ります。見守っててくださいね。 |