註;
(*1)Daniels, The Politics of Prejudice, p95 より、もとの案は5%であったところが3%と修正された。またChuman, The Bamboo People, p95 より、この「現アメリカ在住者の出身国別人口」は1910年の国勢調査にもとづく数字であり、これが実は曲者だったらしい。その年およびその前年はヨーロッパ諸国から大量の白人が渡ってきた年で、「茶色」のスパニッシュや「黄色」のアジア人がまだ少数であった時代。必然的に有色人種が排除されるという、数のトリックがそこにあった。
(*2)排日を主張するグループの筆頭はマクラッチー(McClatchy)という人物であった。彼はカリフォルニア合同移民委員会(California Joint Immigration Committee)の委員長で、日本人移民の問題点や排斥すべき理由を陳情書にまとめて国務省や上院議会に提出した。排日移民法が成立した背景には、こうした排日論者の活動が大きく影響していたと言われる。(→陳情書の要旨等は、日系移民史群像マクラッチーの項参照)
(*3)The Politics of Prejudice, p100.
(*4)日露戦争の結果、ロシアから割譲された満州を日本が盛んに開発し始めると、中国への経済的進出をもくろむアメリカとの間に緊張感が生まれた。満州鉄道を能率的に経営して利益を上げる日本の成功を見てアメリカは焦燥感を抱き、これが対日感情を悪化させる直接の原因となった。(The Bamboo People, p92)
(*5)The Politics of Prejudice, p100.
(*6)The Bamboo People, p101 より、時の大統領クーリッジ(Coolidge)は「この法案は特に日本人に対する排斥をはらんでいるものであり、それについて遺憾に思う」という声明を出した。またクーリッジは、日米紳士協約について大統領が日本政府と話し合いを持つことを議会に提案し、検討のための時間が必要だと説いたが議会には受け入れられなかった。
参考文献:
- Chuman, Frank F. The Bamboo People: The Law and Japanese-Americans. Del Mar, California; Publisher’s Inc, 1976.
- Daniels, Roger. The Politics of Prejudice: The Anti-Japanese Movement on California and the Struggle for Japanese Exclusion. Berkeley; University of California Press, 1962.
- 鷲津尺魔「在米日本人史観」羅府新報社 1930
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