日系人関連史跡訪問記録
「グレープ・キング」長沢鼎の足跡



数奇な運命
 20世紀初頭、「カリフォルニアのぶどう王」としてその名をとどろかせた日本人がいました。その名は長沢鼎(ながさわ・かなえ)。
 日本人移民としてのみならず、地元の名士としても有名な彼の出自は、なんと薩摩のサムライ。幕末の風雲下、若干13歳の極秘留学生としてイギリスに渡った後、カリスマ宗教家に師事して渡米したという変り種です。(詳しくは、日系移民史群像「長沢鼎」の項を参照。)

 サンフランシスコの北にある街サンタ・ローザ(Santa Rosa)は、ワインの醸造がさかんな地域です。すぐ近くにナパ(Napa)、ソノマ(Sonoma)というカリフォルニア・ワインで名高い土地があり、多くのワイナリーが点在しています。

 ハイウェイ101を北上していくと、右手の丘の上に円形の赤い納屋が見えてきました。「Fountain Grove Round Barn」――長沢が当時、馬小屋として使用していた建物です。私有地であり、現在近づくことはできませんが、その堂々とした姿は遠くからも眺めることができます。

ラウンド・バーン
長沢の時代から残る数少ない建造物のひとつ、円形納屋。日米交流事業の一環として1984年に復元・保存された。(2004年9月撮影)

 この円形納屋を含む広大な土地に、長沢らの属する宗教教団はコロニーを作り、信仰生活を営んでいたのです。生活のために彼らが経営したワイナリーは優秀な商品を生み出し、数多くの賞を受賞しました。長沢が40歳のとき、引退した教祖から農園とワイナリーを引き継いだ彼はその後、地元の高名な白人たちとも交流を深めていきます。当時、元サムライという肩書きから「バロン(男爵)」「プリンス」などと呼ばれ、その誠実な人柄は多くの人に親しまれたそうです。

長沢ゆかりの品
長沢の着物。小柄な体型を思わせる。
少年時代に日本から持ってきたものだろうか

最後の武士
 長沢が知力を注いだワイナリー、ファウンテン・グローブ。当時の農園は長沢の死後いくつかに割譲され、その一部がパラダイス・リッジ(Paradise Ridge Winery)という名のワイナリーになって現在も経営されています。ここに、長沢ゆかりの品々を展示している部屋がありました。彼が使っていた和英・英和辞典、日記、日用品等が、セピア色の写真とともに並べられています。

 外に出れば、眼下に広がるぶどう畑。夏の終りの心地よい風を感じながら、私はまわりを見回しました。100年以上前、ここにひとりの薩摩武士が立ち、同じようにこの景色を眺めていたのです。その数奇な人生を思うとき、彼の静かなたくましさが、私の胸を打ちます。すばらしい経済的成功をなしとげながら、しかし多くを語らず、孤高を貫いた長沢。生涯を託したこの土地で、祖国を思い、涙することもあったのでしょうか。

 長沢の「サムライ魂」をあらわすエピソードとして、語り草になっている話があります。
 明治の末、日本海軍の練習艦隊が遠洋航海中にサンフランシスコ港に立ち寄ったことがありました。その艦に、薩摩島津家の第三十代当主、島津忠重が仕官候補生として乗り込んでいたのです。それを聞いた長沢は馬車を仕立てて旧藩主をサンタ・ローザに招き、自宅の門前で土下座をして迎えました。

 当時、すでに財を成し、地域の名士となっていた長沢が、土下座。この光景は、見守る周囲のアメリカ人たちをひどく驚かせたにちがいありません。13歳で祖国を離れ、すでに40年以上が過ぎて日本語をほとんど忘れかけていた長沢は、しかし、あくまで薩摩武士であったのです。

岡さんの思い出に寄せて
 実はこのとき撮った写真を、サンフランシスコにある日米史料館の岡省三(おか・せいぞう)さんにお見せしようと思っていました。岡さんは一世ジャーナリスト岡繁樹(おか・しげき)氏の甥で、この付近では「生き字引」と呼ばれる研究家。その幅広い知識と、私のような素人をも気軽に指導してくださる懐の深さで有名な方です。月に2回ほど、日米史料館を訪れて岡さんのお話をうかがう、というのが私の習慣のようになっていました。

 長沢鼎のワイナリー跡の保存活動にも尽力された岡さん。最近足腰が思うように動かず、行きたいところにも行けない、と嘆いておられました。次にお会いしたら、写真を見せながら、現在のファウンテン・グローブの様子をお話してあげよう。きっと喜んで、まだ私の知らない長沢のいろんな話を聞かせてくれるかもしれない。そう思いながら、私はカメラのシャッターを切っていました。

ファウンテン・グローブ
ファウンテン・グローブのワイン畑。眼下にサンタ・ローザの街並が見わたせる

 数日後、そろそろ電話をしてアポイントをとろうかな、と思っていた矢先のことです。知り合いの北米毎日新聞記者の方から、知らせを受けました。ちょうど私が長沢のワイナリー跡を訪ねていた日に、岡さんは突然亡くなったというのです。写真をお見せすることは、もうかなわなくなりました。

 貴重な歴史の記憶がひとつずつ、こうやって失われていきます。厳しくも優しかった岡さんの笑顔を思い出すとき、私はいつも胸が締め付けられるような気がするのです。
「勉強しなさい。ちゃんと勉強しなさい」――あの史料館の大きな机の向こう側に、ちょこんと座った岡さんの、しわがれた声が聞こえます。私たちの知らないことはいっぱいある。こうしている間にも、歴史の記憶は死に続けているのです。
 私たちがよって立つ、この地面をつくってくれた先人たち。彼らの足跡に触れ、その人生に思いを馳せれば、そこから何かが始まるはずです。まずは、知ることから始めましょう。思い出が風に吹かれて消えてしまう前に、残された私たちがするべきことはあまりにもたくさんあります。

2004年9月訪問


Direction: パラダイス・リッジ・ワイナリー(Paradise Ridge Winery)の住所は、4545 Thomas Lake Harris Dr. Santa Rosa, CA.





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