YES NO NO YES
2つの国の間でさまよい、割り切れない答を抱えたままに、人々は登録の日を迎えた。自分の心を説明しきれず、質問のどちらかをYESに、どちらかをNOにするという手段をとった人々もいる。こうした回答も「不忠誠」とみなされた。
日本への帰還を希望した者はこの質問状に答えなくてよいとされたため、この時期かなりの人数が届けを出して日本への帰還船を待つという結論を出した。こうした人々は「不忠誠」のレッテルを貼られたグループとともに、カリフォルニア州北端のツールレイク収容所へ送られた。
註:
(*1)Application for Leave Clearance、直訳すると「出所許可願」となる。かさむ経費が深刻な問題となっていた強制収容所から、外に出しても安心な日系人を選び出すためというのがこの忠誠登録の主眼であり、その意思が反映したタイトルとなったのだろうとWeglynは推測する(Years of Infamy, p132)。
(*2)当初は3月2日までに登録完了の予定であったが、事態が紛糾し収拾がつかない収容所もあったため3月10日に延長された。登録しないと逮捕される、というのは根拠の無い脅しで、実は「登録は強制ではない」というお題目であったはずなのだが、管理当局にすらその通知が行き届いておらず、このデマは一般に信じられていた。そして実際、登録を拒否する運動が起こると、アジテーターとみなされた人々は捕らえられユタ州モアブの秘密キャンプに投獄された。
(*3)質問の原文は次のとおり。
27. Are you willing to serve in the Armed Forces of the United States on combat duty, wherever ordered?
28. Will you swear unqualified allegiance to the United States of America and faithfully defend the United States from any or all attack by foreign or domestic forces, and forswear any form of allegiance or obedience to the Japanese emperor, or any foreign government, power, or organization?
質問28は、収容者たちがその非合理性を訴えて激しく抗議したため再検討されることになった。「あなたはアメリカの法律を遵守し、この国が戦争を遂行するにあたってなす物事を、どんな形であれ妨害しないことを誓いますか?」というのが、その後提示された修正案である。しかし、そのころには一部の収容所ではすでに登録が完了していた。
(*4)英語をじゅうぶんに解さない一世たちの間では、終戦間際まで日本の勝利が信じられていたという。ラジオを通して大本営発表を聞きながら、彼らはわずかな望みにかじりついていた。
(*5)デイ「日本の兵隊を撃つことはできない」p89. ただし、収容所ごとに登録環境が異なったため単純に全体の平均値だけで判断することはできない。たとえば質問28に対してNOと答えた者および回答拒否の割合は、最も低いグラナダで2%、最も高いツールレイクでは42%にものぼった。(各収容所のパーセンテージはThomas and Nishimoto, The Spoilage, p62.を参照。)
参考文献
- Weglyn, Michi. Years of Infamy: The Untold Story of America’s Concentration Camps. New York; William Morrow and Company, Inc., 1976.
- Thomas, Dorothy Swaine and Richard S. Nishimoto. The Spoilage: Japanese American Evacuation and Resettlement during World War II. Berkeley; University of California Press, 1946.
- デイ多佳子「日本の兵隊を撃つことはできない:日系人強制収容の裏面史」芙蓉書房出版 2000.
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