収容所に、昔ご親戚でもいらしたの?・・・ |
照りつける日差しの中、私と夫は日系人強制収容所の跡を探しまわっていました。ここはツールレイク(Tulelake)、カリフォルニアの北の果てです。あと数マイルでオレゴンという州境の田舎町。ここに、第二次世界大戦中アメリカで最大と言われたツールレイク収容所があったのです。 |
葦の生い茂る湖、ツールレイク。(2004年5月撮影) |
地図を見たり、地元の人に聞いたりしてもなかなかはっきりとした場所が特定できず、とうとう湖を一周してしまいました。どうしてどの地図にも記載がなく、標識のひとつもあらわれないんだろう。60年前にはここに、2万人近い日系人がいたはずなのです。いくら今は閉鎖されてしまっているからといって、このまぎれもない史実を、そこに住む人々が忘れ去っていられるわけはありません。 |
収容所跡から見える景色。この近くにはLava Beds National Monumentという自然公園がある。 |
「看板? ないわよ、そんなの。だって誰も来ないもの。記念碑のようなものは立ってるけど」 |
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野生動物博物館でようやく正しい場所を聞きだした私たちは、なんとか収容所跡にたどり着きました。ハイウェイの道路わきにある、あまりにも目立たないランドマークの前を、何度か通り過ぎてしまいながら。ランドマークにはこう書かれています; |
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「ツールレイクは第二次世界大戦中につくられた10箇所の日系アメリカ人強制収容所のうちのひとつである。日本人を血統に持つ11万人が有刺鉄線と監視タワーのもとに投獄された。その多くはアメリカ市民権を有する人たちであり、何の咎もなく、裁判も受けることなく、罪が確立することもないままの拘束であった。これらのキャンプが提言して止まないことは、人種差別、経済的政治的搾取や便宜主義がいかに合衆国市民および外国人の憲法上の人権保障を蝕み得るものかという事実である。ここで繰り広げられた不当行為と屈辱が、二度と起こらないことを祈る。 カリフォルニア州認定史跡第850-2。この碑は北カリフォルニア・ネバダ議会とJACLの協力を得て、州公園局により1979年5月27日に設置された。」 後でわかったことなのですが、この碑の背後に広がるフェンスで囲まれた一角は収容所跡の南西端の一部に当たります。2万6千エーカーという広大な敷地面積は収容所閉鎖後すぐに切り売りされ、現在ではstockade(問題のある被抑留者を閉じ込めた留置所)のあるわずかな一角だけが残っている状態とのこと。 このような事実は、しかし、その後立ち寄った地元の博物館ではじめて判明したものなのです。 |
ランドマークの背後に広がる一角が収容所跡。右後方の建物は留置所。 |
収容所跡の前に立つランドマークの前で、私はただ立ち尽くしていました。碑はツールレイク収容所の存在を書き記してはいるけれど、私の目の前にあるのはただの野原。それが昔は一体どんな姿をしていて、どこに何があったのか、今私がフェンスごしに見ている建物がいくつかの文献で見知ったstockadeと理解していいものかどうか、まったく教えてはくれないのです。ここはかつて、全米10箇所の収容所の中でも最も「問題のある」収容所でした。忠誠質問状(Loyalty Questions)において「アメリカに忠誠を誓うことはできない」と答えた日系人たちが全米各地から送られ、中でも日本びいきとみなされた人々はこの留置所に閉じ込められたのです。暴動も数多く起こり、100人以上の人が収容所内で亡くなりました。 |
博物館に展示されていた、 ガードタワー(監視塔)とバラック。 実際に使われていたもの。 |
幸い、私たちはその後ハイウェイ沿いに偶然発見した看板を手がかりに、地元の小さなミュージアムを訪れることができました。Tulelake Butte Valley Fair Museum of Local History、当地で起こったインディアン戦争や先史時代の壁画などを紹介している博物館です。見るからに手作りといった風情の展示の一角に、日系アメリカ人強制収容所のコーナーがありました。 |
2000年暮に、ヤマイチ氏も参加しているTule Lake Historic Preservation Committeeが「ツールレイクの収容所跡を再建して、歴史を学べる場に」という旨の建白書を政府に提出しました(*2)。跡地にバラックを復元しガードタワーのレプリカを置いて強制収容の史実を説明することで、人権という大きなテーマのより有意義な学習を可能とする、というのが提案の趣旨です。この建白書がどう検討されたのかまではわかりません。しかし、私が現地を訪れた2004年5月の時点では、そのような計画が推進されている気配はありませんでした。 |
バラック内部、独身者4人用部屋の様子。 |
「ここで繰り広げられた不当行為と屈辱が、二度と起こらないことを祈る。」 |